日本人と猫の関係は千年を超えます。仏典を鼠害から守るために遣唐使船で渡来したと伝わる古代の猫から、宇多天皇が綴った世界最古級の「猫日記」、平安貴族の唐猫、室町の鼠害対策まで。文献にのこる猫の足跡をたどります。
日本に猫が渡来した時期は確定していませんが、奈良時代(8世紀)には大陸から経典とともに移入されたとする説が有力です。船倉や経蔵で経典を齧る鼠を防ぐため、遣唐使船・遣隋使船に乗せられて渡ってきたと考えられています。
古墳時代(壱岐・カラカミ遺跡などで弥生時代の猫科動物の骨が出土した報告もあります)や、それ以前の家畜化の痕跡については議論が続いており、最新の動物考古学では、奈良時代以前にも家猫が存在した可能性が示唆されています。
日本最古の仏教説話集『日本霊異記』(薬師寺の僧・景戒、822年頃成立)の上巻第三十話に、豊前国の膳臣広国が父の生まれ変わりとして「家の中に飼える猫」となっている描写があります。これは文献上、明確に「家で飼われる猫」を示した日本最古級の記述とされます。
平安初期、宇多天皇(867-931)の日記『寛平御記』寛平元年(889年)二月六日条に、父・光孝天皇から賜ったという黒猫について詳細な記録が残されています。
天皇自らが愛猫の姿態・行動を観察し記述したこの一条は、現存する世界最古級の「猫の飼育記録」と評価されています。
清少納言『枕草子』第六段「うへにさぶらふ御猫は」には、一条天皇の飼い猫が「命婦のおとど(みょうぶのおとど)」という女房の位を授けられ、五位以上の位階を持っていた様子が描かれています。猫を脅かしたとして犬の翁丸が打擲・追放される顛末は、当時の宮廷で猫がいかに大切にされていたかを示します。
紫式部『源氏物語』第34帖「若菜上」では、女三宮の唐猫が綱を引いて御簾を巻き上げ、柏木が女三宮の姿を垣間見るという、物語全体の悲劇を導く転換点に猫が用いられます。平安貴族にとって唐猫(中国渡来の猫)は希少な舶来動物であり、紐に繋いで飼うのが一般的でした。
長らく綱に繋いで飼われていた猫は、室町後期から戦国期にかけて、鼠害の深刻化を受けて放し飼いが奨励されるようになります。慶長七年(1602年)、京都所司代・板倉勝重が「猫の綱を解き放せ」とする触れを出した記録が複数の地誌に残り、これにより猫が広く市中に放たれ、養蚕地帯や穀倉地帯で重宝されるようになりました。
江戸期になると猫は完全に庶民の動物となり、「猫絵」(鼠除けのお札として猫を描いた絵)が流行。新田岩松家の「猫絵の殿様」など、武家が描く猫絵が霊験あらたかとして取引されました。歌川国芳の浮世絵に登場する膨大な猫は、こうした猫文化の頂点を示しています。
執筆: 編集部 / 監修者調整中