化け猫、猫又、招き猫──。日本各地の民俗のなかに、猫は怪異としても福をもたらす存在としても深く根付いてきました。語源・伝承・供養の風習をたどると、日本人が猫に向けた「畏れ」と「親しみ」の二重の感情が見えてきます。
日本でもっとも知られる化け猫譚は、佐賀藩・鍋島家にまつわる「鍋島の化け猫騒動」。家臣・龍造寺又七郎が藩主に殺されたことを恨んだ母の血を舐めた飼い猫が、二代藩主・鍋島光茂の側室に化けて夜毎に祟ったという物語で、江戸後期に講談・歌舞伎の人気演目となりました。
岡山県児島の「猫塚」、長崎県・栖本の化け猫伝承など、化け猫譚は西日本を中心に各地に残ります。多くは「飼い主の恩義に応えて怪異を起こす」筋立てで、猫が人に近い感情を持つ動物として恐れられていたことを示します。
猫又(猫股)は、年を経た猫が尾を二股に裂いて妖怪化するとされた存在です。文献上の初出は鎌倉期、藤原定家『明月記』天福元年(1233年)の「南都に猫胯あり、人を食らう」の記述。続いて吉田兼好『徒然草』第89段に「奥山に、猫またといふものありて、人をくらふなる」と語られます。
『源平盛衰記』巻八にも猫又の記述があり、中世には山中の妖怪として、また飼い猫が齢を重ねて変化する身近な怪異として、両義的に語られていました。
招き猫の発祥には主要な三説があります。
右手挙げは「金運」、左手挙げは「人(客)招き」と俗信され、三毛(特にオス三毛)は希少ゆえに開運の象徴とされました。
「ねこじゃらし」の通称で親しまれる雑草エノコログサ(狗尾草、学名 Setaria viridis)は、犬の尾に似ることから「いぬっころ草」が転じて「狗尾草(えのころぐさ)」と表記されました。猫の前で穂を揺らすと飛びついて遊ぶことから、別名「ねこじゃらし」が広まったのは近世以降と推定されます。
おもちゃとしての「猫じゃらし」(棒の先に羽根や紐を付けた玩具)も同じ語感から発展したもので、植物名→玩具名の意味拡張は近代以降に定着したと考えられています。
養蚕地帯では「鼠を獲る守り神」として猫が大切にされ、死後は塚を建てて供養する風習が広く分布しました。山形県・米沢の猫塚、群馬県・新田郡の猫神信仰、長野県・飯田の蚕影神社では猫が「蚕の守護神」として祀られています。
また、三味線の革に猫皮が用いられた歴史から、芸能関係者が猫供養を行う寺院も少なくありません。東京都台東区の回向院や、京都・称念寺(猫寺)には、亡くなった猫の供養塔が現在も残ります。
1987年、ペットフード工業会(現・一般社団法人ペットフード協会)と「猫の日制定委員会」によって2月22日が「猫の日」と定められました。「ニャン・ニャン・ニャン」の語呂合わせに由来し、現在では全国の社寺・カフェ・自治体で関連行事が催されます。豪徳寺の「たまにゃん祭」もその一つです。
執筆: 編集部 / 監修者調整中